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二酸化炭素祭り
皆様おばんでございます! 7月4日、店長の大西でございます!




今日はまたもや恐怖の時間を過ごしてまいりました。




口腔内環境のコペルニクス的転回を経験した先週でございますが、今日は2回目の歯の治療日だったんですね。




どうやら僕の虫歯は相当な領域にまで達していたらしく、歯の神経を抜くか抜かないかの瀬戸際まで進行したそうでございまして、当然、かなりの治療を要するとばっちりクギをさされていたんですよ。




で、今日から本格的な治療に入ったわけでございますが、いやいやいや、覚悟していたとはいえ、やはり痛いものでございますなぁ。




“ドン!”と響いてくる鈍痛、細いながらも常にうっすらと感じている微痛、そして種々の薬から漏れてくる激苦な味等、ほんと、自分ではどうしようもできないだけに相当の恐怖感がございましたよ。




しかもですね、どうやら僕は麻酔が効きにくいタイプのようらしく、ちょっぴり多い目に施してもらったにも関わらず、それが効かないと解ったときの先生の一言が「ま、頑張ってもらうしかないね」というガリガリ君ソーダよりも冷たい一言でございまして、痛さに耐えるために力が入って汗だくだった僕の熱気が、その一言で一気に冷めていきました(笑)







今回の治療で暫くは“様子見”ということでございましたから、次の治療は約2週間後になるそうでございます。



その間、もう今からカウントダウンが始まっておりますので、ほんと、できることなまとめて一気に治療して欲しいものでございますな。






はぁ〜・・・憂鬱だ・・・・撃沈






さぁさぁ、そんな感じで若干まいっておりますが、更新のほうは張り切って進めてまいりましょう!




本日は「二酸化炭素祭り」というタイトルでございます。





これはですね、今日の夕方何気に観ていたニュース番組で、洞爺湖サミットの特集的な内容のものが流れていたんですが、その際に、個人的にはどうしても異議を唱えたいような内容がございましたので、そこら辺からのお話なんぞを認めてみようかなと、こういう次第でございます。





では早速。






いやぁ〜、いよいよサミットが近づいてまいりましたなぁ。


この日記を書いている時点では、もうあと3日後でございますよ。






今回の洞爺湖サミットは、早くから「環境サミット」なんて呼ばれておりまして、その議題の中心に地球温暖化に関する対策、中でも二酸化炭素を主とした温室効果ガスの削減を地球規模で実行しようというものが据えられているようでございますが、しかし、その議論の種自体が、現時点で確実に不確かなものである以上、やはり、そこに大いなる意義は見出せません。




ま、何故に“不確か”であるのかは、最近では様々な“現実派”の科学者たちのおかげで、この地球温暖化の原因が「二酸化炭素主因」では無さそうだということが知れ渡るようになってきておりますので、僕が殊更に説明するまでもないようでございますが、とにかく、未だ決定的な証拠が示されていない中での二酸化炭素削減狂想曲に、個人的には辟易しているんですよ。




だってですね、いわゆる「温室効果ガス」と呼ばれるもののうち、約9割は水蒸気でございまして、二酸化炭素はそれ以外の物質と併せての残り1割の一つに過ぎませんから、現状では確かに二酸化炭素が増えているとはいえ、それが気候に決定的な影響を与えるとは思えないんですね。




もちろん、ここら辺は多くの科学者が説明していることでございますし、ある意味では至極当たり前のことなんでしょうが、しかし、その当たり前がなぜか湾曲しておりまして、「地球温暖化=人為的な活動による二酸化炭素排出量の増加」という図式があまりにも横行しすぎているとしかおもえないんですよ。




しかし、そんな“当たり前”と思われるようなことですらニュースとして扱わず、挙句の果てには「地球温暖化の原因は二酸化炭素の増加が原因です」と、北海道の『UHB スーパーニュース』ではきっぱりと言い切ったんです。




これですねぇ、個人的には非常に危険と申しますか、正直に言えば恐怖を感じないではおられませんで、図らずも多くの人が注目しているサミットの特番において、このような“根拠のないこと”をおよそ真実のように報道するその姿勢に、どう冷静になっても違和感は拭えないんですよ。





だってそうでしょう。




このニュースを取り扱うに当たっては、絶対に多方面からの検証が必要なはずですよ。



そうでなければ、上からの指示を盲目的に受け入れ、ただ与えられただけの原稿を読み上げるというなんとも機械的な作業でございますから、そこには“ニュースキャスター”としての存在意義を放棄している姿しか見受けられないんです。




もちろん、そうでもしなければ首が飛ぶとか、家族を路頭に迷わせるなどの実生活における支障が確実でございましょうから、“仕方がない”となるのも解るんです。





しかしながら、これは決してきれいごとではなく、100パーセント言いたいことを言えないまでも、どこかに視聴者サイドに疑問を抱かせるようなニュアンスを残しておくのが「キャスター」としての責任ではないのかと思っておりまして、その意味からは、今回の報道の姿勢はどう考えても間違った報道であると考えざるをえないんですよ。




これは繰り返し書いておりますが、もし、“本当に”地球の温暖化が二酸化炭素が主因であるとするならば、僕は今すぐにでもパソコンの電源を落としますよ。




しかし、地球が温暖化していることは、地球がこれまで繰り返してきた気候の変動を辿っているだけというもっともな説もございますし、およそ現在の気候モデルでは「温暖化=二酸化炭素主因」というケースを説明できないそうじゃないですか。





それをですね、「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)」がノーベル平和賞を受賞したという“だけ”で全世界が足並みを揃え、猫も杓子もCO2削減と躍起になるなんて、こんなもの、地球規模の洗脳という以外になにがありますか。





ほんと、およそ“そうらしい”というだけで全てを巻き込むなって話ですよ。





本当なら協力したいので、本当のことを教えてください。




それ以外に望むことはないんですから。



ほんと、お願いしますよ。環境ビジネスに絡むお偉いさん。








僕の個人的な感想では、今回のサミットを迎える地元の人たちは、これをたんなる“お祭り”としてしか捉えていないような気がいたします。



開催地の警備の厳重さや、それに伴う観光施設への一般客の激減、そして町興し村興し的な各種イベントの開催や各地方への誘致等、サミットそのものの内容より、それに付随して盛り上がる“脇役”がその報道のメインの座についているところだけをみてみましても、やはり、これは世界的な「二酸化炭素祭り」といっても過言ではないのかもしれませんね。






ともあれ、キャスターにはキャスターとしての仕事を望みます。







それでは今日はこの辺で。

また明晩ラブ


| 店長 オオニシ | - | comments(0) | trackbacks(0) |














猫背
皆様おばんでございます! 7月3日、店長の大西でございます!




突然ではございますが、“猫背”ってのはやっかいなものでございますな。



“美しい女性”の条件として、まず必ず挙げられる条件として“姿勢が良い”というものがございますが、しかし、これはなにも女性に限ったことではないように思うんですね。




僕は女性目線からの価値は今一解りませんが、それでも、ピシッと背筋が伸びている男性は単純に格好いいだろうとの予測はつきますので、やはり、美しい所作を望むのであれば、男性・女性に限らず、背筋をしっかりと伸ばすことは必要不可欠なことのように思うんですよ。




ま、たまに“あの猫背がたまらなく魅力がある”という好みも聞きますので、当然ながら人それぞれでございましょうが、とにかく、僕は姿勢の美しいのを好む傾向にあるんです。





が、しかしながら、先程、何気に読んでいた本から目を上げ、消えていたテレビ画面に映る自分の姿勢を目にしたときに愕然としてしまいまして、まるでそこに背骨がないかのようにまるまる自分の姿を目の当たりにし、その美しくない姿勢に思わず「まじか・・・」と漏らしてしまったんですよ。







いやぁ〜、しかしいけませんなぁ。

普段から気にしているはずなのに、気が付けば背中を丸めているんですから。






ま、その理由としては単に筋力的な問題(腹筋と背筋のバランス)といわれておりますから、この先の人生を考えると今からしっかりと鍛えておくべきなのでしょうが、いずれにいたしましても、“楽”という状況のほとんどが、自身の為にとってあまりよろしくないということを痛感させられた次第でございます。







水晶でもダイヤでも、その美しさを引き出すためには必ず“磨く”という作業を要します。


きっと、人間にとってもそれは同じことでしょうから、ゆえに、やはり、キレイやかっこいいといわれる人達は、まず例外なく自分を磨くということに時間を費やしているんでしょうな。







いやぁ〜、やはり人生は甘くないですなぁ・・・たらーっ






さてさて、それでは本題へといきたいところでございますが、今日は若干体調が優れず、およそ考えをまとめるような状態にございませんので、本日はショートバージョンにて失礼させていただきます。




明日は通常営業を予定しておりますので、お時間のございますお客様は是非とも覗いてみてくださいましね!





それでは今日はこの辺で。

また明晩ラブ
| 店長 オオニシ | - | comments(0) | trackbacks(1) |














貧しき精神
皆様おばんでございます! 7月2日、店長の大西でございます!




そういえば今日、夏に気が付きました。




大きさだけが自慢の我が家の庭でございますが、そこに、一本のサクランボの木が陣取っている場所があるんですね。




こいつは実に逞しいやつでございまして、今まで全く手をかけていないにもかかわらず、しかも冬に除雪車で大きく太い枝を傷つけられたにもかかわらず、毎年、時期になると立派な果実を実らせてくれるんですよ。




で、今日の夕方なんとなく庭に出てその木を見上げて見ますと、なんと、もはや赤く色付いた艶やかな実が実っておりまして、あぁ、今年もそんな季節かぁなんつって、爽やかな風が胸を通り抜けるような心持ちになれたんです。





いやぁ〜、それにしても嬉しいことでございますなぁ。

あまり期待していないとはいえ、毎年決まって豊かな季節の恵みに出会えるんですから、これぞ“満たされる”感情でございますよ。





ま、正直なところ、我が家のサクランボはそれほど上質なものではございませんし、果樹園などのプロが手を入れた商品とは比べ物になるはずもございませんが、それでも、頂くには十分な甘みと瑞々しさを纏っておりまして、これから熟してくるのが非常に楽しみでございます。






圧倒されるほどに実をつける我が家のサクランボでございます。

その実を全部頂くとすれば、それはかなりの量でなんなら商売できるくらいでございますが、しかし、カラスやその他鳥たちと分け合わなければいけませんので、今年もあまり欲張らないように、その恵を頂きたいと思います。








もうちょっとで収穫ですイヒヒ






さぁさぁ、それでは今日も元気よく更新してまいりましょうか!





本日は「貧しき精神」というタイトルでございます。





今日もですね、いつものようにヤフートピックスからの話題でございますが、先程何気に眺めておりますと、なんとも考えさせられるような話題が載っておりましたので、そこら辺からのお話なんぞを認めてみようかなと、こういう次第でございます。





で、早速その話題でございますが、





「<東国原知事>“体罰は愛のムチ”発言に賛否40件 宮崎女性ネットは公開質問状」






という、東国原英夫知事が先月の県議会で「体罰は愛のムチ」などと発言したことを受け、県に賛否両論の「声」が約40件届いていたことが分かったという、個人的には相当に興味を持って見た話題なんですね。




記事を詳しく読んでみますと、この問題の発言は、先月18日の県議会本会議後、記者団に対し「昔はげんこつで教えられたが、最近はできなくなっている。愛のムチ条例はできないか」という内容のものだそうでして、これを「暴力肯定」の発言だとして受け止めた人が多かったとのことなんですよ。





しかもですね、1日までに県に届いたファクスやメールなどは約40件に昇るそうでございまして、その内約6割が知事の意見に異議を唱えるものなんだそうです。







いやぁ〜、しかし相変わらずモメますなぁ。

“体罰”と“愛のムチ”の境界線は。





ま、話を進める前に僕の立場を明確にしておく必要があると思いますので先に書いておきますが、僕は一切の迷いなく知事の考え方には“賛成”なんですね。(ま、条例は行き過ぎでしょうけど)




その理由といたしましては別に特別なことはなく、単に“愛のムチ”を貰って育ててもらったからというだけなんですが、しかし、それ以外に大きな理由はなく、ゆえに、どうして“愛のムチ”と“暴力”を穿き違えるのか、しかもそれを“大人”が穿き違えてしまうのか、それがどう考えても理解できないんですよ。




つーかですね、これはまず間違いなく100パーセント「大人サイドの問題」でございまして、この問題に肝心の子供はまったく相手にされていないんですね。




僕が子供の頃を思い返してみましても、その裏に愛情を感じるものと感情的なものではまず間違いなく判別できておりました(子供によく備わっているであろう本能的な部分で)し、ゆえに、そこで叩かれたりしたところで、精神的な痛手を背負うなんてことは皆無だったんですよ。




しかし、ここまで“愛のムチ”と“暴力”とが議論され、虐待や体罰などと騒がれるということは、つまりはそれを行う“大人”側の都合が議論されているだけであって、そんなもの、当の子供にしてみればまったく関係のないところでの話でしかないんです。




それをですね、男女共同参画推進を目指す某団体が知事あてに「暴力容認とも取れる発言は、影響が大きい。知事としてあるまじき軽率な発言だ」として質問状を送るなんて、そんなもの、自分たちが愛のムチを今まで貰ったことがないと宣言しているのと同義じゃないですか。




だったら、だからこそ、子供に対して手を上げることの全てを“暴力”として捉えるのではなく、そこには愛のあるものも数多く存在する、いや、体罰や虐待なんてのはそのセンセーショナルさゆえに大きく報じられているだけだという考えもそこに混ぜていただいて、何でもかんでも手を上げることに批判的な態度をとることは決して得策ではないと思っていただきたいですよ。




だってそうでしょう。




“子供”は解るんですから。



騒いでいるのは大人だけであって、当の子供は関与していない。



ここに、激しく議論する理由が存在しているでしょうかね。



なんでもかんでも事前に防ごうなんて甘い考えが、甘い社会と甘い大人を生んできたんじゃないですか。



ほんと、もう少しこう、“受け入れる”という姿勢がとれないものでしょうかね。




このままじゃガチガチすぎて苦しすぎますよ。




ほんとに・・・・。








全てとは言いませんが、ほとんどの優れた宗教においては「懲罰」というものが定められております。



ということは、崇高な精神を築いていくためににはなんらかの身体的な痛みを伴うことが必須であるとも取れるわけでございますから、やはり、必要な時には必要な程度の痛みを与える覚悟を、我々大人が持たなくてはいけないのではないのでしょうか。






ま、その「必要な時」ってのがどういうときでどの程度が「必要な程度」か、それが解らないからこのような馬鹿げた議論が起こるのでしょうが、しかし、それが解らないようなら、ほんと、大人なんてやめたほうがいいでしょうな。





それくらいはきっちり解る人間でありたいと思います。





それでは今日はこの辺で。

また明晩ラブ
| 店長 オオニシ | - | comments(0) | trackbacks(2) |














受け入れられない理由
皆様おばんでございます! 7月1日、店長の大西でございます!




やっと、念願の“ブツ”を入手いたしました。




先週、積年のぐうたらが祟って意を決した歯医者通いでございますが、2回目の治療はもう明後日に迫っているんですね。




その際に、先生からは歯の手入れ方法が実に下手だと叱責を受け(笑)、小学生よろしく歯磨きの手ほどきを受けたほどでございますが、さすがに、それではイカンと歯磨きのコペルニクス的転回を求めることにしたんですよ。




で、辿り着いた結論が“今更の電動歯ブラシ”でございまして、本日、そのブツが手元に届いたんです。






いやぁ〜、しかしテクノロジーってのは素晴らしいものでございますなぁ。

歯の手入れを“超音波”にて行うのですから、まさに革命でございますよ。





ま、敏感な人はかなり以前からこれらの恩恵に与っておりますでしょうし、医学的にも大いに実証された効果ゆえに健康に気を遣う人には既に欠かせないアイテムとなっていることでございましょうが、ともあれ、大いなる武器を手に入れた僕の歯の健康の行く末は、これで前途洋洋を保障された次第でございます。





今までであれば、歯磨きは朝一と就寝前の2回だけでございました。


しかし、今はもう歯を磨きたくてしょうがない衝動に駆られております(笑)ので、今後暫くは電動歯ブラシが僕のチュッパチャップスとなりそうでございます。





いやぁ〜、磨きたい!!(笑)





さぁさぁ、そんな感じでテンション上がりっぱなしでございますが、更新のほうは落ち着いて進めてまいりましょう!





本日は「受け入れられない理由」というタイトルでございます。





今日もですね、またまたヤフートピックスからの話題でございますが、先程いつものように眺めておりますと、なんとも息が詰まるような話題が載っておりましたので、そこら辺からのお話なんぞを認めてみようかなと、こういう次第でございます。





で、早速その話題でございますが、





「ガソリン、“180円時代”に=きょうから一斉値上げ」





という、今日1日から、石油元売り各社の卸値の大幅値上げを受け、ガソリン店頭価格が全国の給油所で一斉に引き上げられたという、なんとも今時な話題なんですね。




記事を詳しく読んでみますと、首都圏ではレギュラーガソリンで早くも180円台の看板を掲げる店も目立っているそうでございまして、原油価格の高騰が治まる気配を見せない中、各給油所も泣く泣くの値上げで対応しているとのことなんですよ。




ま、大方の予想では軽く200円を突破するだろうとの見方が強いですから、これでも“まだ”猶予をもらっていると見たほうがいいのかもしれませんな。









いやぁ〜、それにしても切ない世の中でございますなぁ。

僕が免許を取ったばかりと比べますと、おおかた100円近くの値上がりでございますよ。





てかですね、例えばこれが“逼迫した枯渇”が原因であるとするならば、それはそれで充分に納得した上で受け入れられるのですが、しかし、現在のこの暴騰が“マネーゲーム”に由来するということを考えますと、これはどうにも折り合いをつけることができません。




ま、僕は経済については全く詳しくありませんので深くは突っ込めないのですが、しかし、先日友人から聞いた話の中で、この原油価格高騰の元凶が、米大統領のブッシュ氏が、自身の保有する石油会社に有利に取り計らうために、投機の対象として原油を解禁したからとの実しやかな話も流れている現状を踏まえますと、やはり、“庶民”といわれるカテゴリーの人々が搾取されているとしか考えられないんですよ。




だってですね、世界の化石燃料はまだまだ百年単位で持つくらい埋蔵量があるといわれておりますし、「燃える氷」として注目され始めた「メタンハイドレード」も視野に入れますと(ここでは採掘の権利やそれに伴うコストは外して考えますが・・・)それこそ“まだまだ”猶予は考えられるわけでございますから、それを考えますと、上に書いたような「マネーゲームが原因」という以外に、こうもいきなり「はい、値上げしまーす」なんていうことになるわけがないと思うんです。




てかですね、もう本当に限界ですよ。


あまりにも高すぎます。


この憂うべき状況を政府は“危機”と捉えていないのでしょうか。


正直、サミットなんかよりも優先すべきでしょう。


言いなりになるだけの環境問題なんて、そんなもの屁のつっぱりにもなりません。


だいたい、温室効果ガスの内CO2だけを重要視するその意味が理解できませんし、それを削減するどうのこうのと議論したところで、我々には“直接”関係ないんですから。


ほんと、そんな全く意味のないものに年間で1兆円規模の資金を投入するなら、その半分でもエネルギーの価格安定の為の政策や研究に回せってはなしですよ。



もうこれ以上、無能な舵取りの為に苦しめられるのはウンザリです。



ガソリン買い控えでCO2の排出量が減って満足か?



ほんと、いい加減にして欲しいですよ。



ったく・・。


ねぇ・・。







先人の名言に、「船頭多くして船山に上る」というものがございます。


これは、指図する人が多くて物事がまとまらず、とんでもない方向に進んでゆくことのたとえでございますが、しかし、今の日本には、このような船頭的な信頼に足る指示をする人そのものがいないといわざる得ませんで、その意味におきましては、山に登ってもいいので、きっちりとした船頭がほしいものでございますな。






とにかく、理不尽な理由による息苦しい生活は受け入れられるはずがありません。







それでは今日はこの辺で。

また明晩ラブ










| 店長 オオニシ | - | comments(0) | trackbacks(2) |














不均衡
皆様おばんでございます! 6月30日、店長の大西でございます!




突然ではございますが、「物忘れ」って本当に嫌になるものでございますな。




史上最高といわれるほどに値が上がったガソリンでございますが、その消費を控えるため(もちろん、経済的な面からです。)に、最近では用事を足すのも“まとめて”行うようにしているんですね。




もちろん、突発的な急用は例外でございますが、しかし、急を要しないものは一度の外出で、しかも最短ルートを想定して、できるだけ手間とエネルギーを節約するように心掛けているんですよ。




で、先程も複数の用事を足しにちょこっと出掛けたわけでございますが、いやいやいや、僕の場合は必ず半分くらいの用事を忘れて帰ってくるんです。







いやぁ〜、しかし本当に自分が嫌になりますなぁ。

結局は二度手間で全てを無駄に帰すのですから、もう落胆するしかございませんよ。





ま、それでも“メイン”の用事は忘れたことはございませんし、それにより大きな痛手を被ったこともないので別にいいっちゃぁいのですが、それにいたしましても、少しは活用していると思っていた脳が思ったよりも活性化されていない現実に、忘れた用事なんて霞むくらいに凹んでいる次第でございます。








人間の不思議な能力の一つに、“記憶”というものがございます。


ま、僕はここら辺についてはまだ勉強していませんので詳しくはわかりませんが、とにかく、その能力が確実に衰え始めているという現実をどうやって受け止めるか、そっちの心理学的な方面の勉強が、まずは必要なようでございますな。






いやぁ〜、それにしてもマイッタ・・・たらーっ







さぁさぁ、そんな感じで若干落ち込んでおりますが、更新のほうは元気よく進めてまいりましょう!







本日は「不均衡」というタイトルでございます。





これはですね、いつものようにヤフートピックスからの話題でございますが、先程何気に眺めておりますと、なんとも腑に落ちないような話題が載っておりましたので、そこら辺からのお話なんぞを認めてみようかなと、こういう次第でございます。






で、早速その話題でございますが、







「<落書き>水戸の常磐大高の野球部監督も 解任処分に」






という、世界的な遺産に日本人旅行者の落書きが相次いで見つかっている問題で、世界遺産登録地区にあるイタリア・フィレンツェ市の「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」において、水戸常盤大高硬式野球部監督の落書きが見つかったことを受け、同校が29日付でこの監督を解任したという、今“流行り”の落書問題に関する話題なんですね。





記事を詳しく読んでみますと、この監督はイタリアを私的に旅行していた06年に、大聖堂最上階展望台の柱に落書きをしたそうでございまして、「深く考えずにやってしまった。大変申し訳ない」と認めているとのことなんですよ。






いやぁ〜、そうでございますかぁ。

“落書き”で“解任”でございますかぁ。





もちろん、落書き自体は許される行為ではございませんし、それが歴史的にも貴重な建造物であるなら尚更でございますが、それにいたしましても、この行為で職を解かれるという事態にまで発展するそのいきさつが、僕には不可解といいますか、どうにも納得できないんですよ。





ま、この件に関しては、意見が“妥当な処分だ”というのと“罰が重過ぎる”とに真っ二つに割れているそうでございますが、僕は後者の意見に賛同する立場なんです。





といいますのはですね、過去、様々な分野での様々な不祥事がそれこそ数え切れないくらいございましたが、例えば、これが“国会議員”や“官僚”であった場合、はたして、今回の処分のような“解任”にまで発展したのかを考えますと、やはり、どう考えてもここまでの処分がくだされるとは思えませんし、しかもですね、ちょっと表現が悪いかもしれませんが、「みつかってしまったがゆえ」のいきなりの厳罰でございますから、これはやはり、あまりにも犯してしまった罪とそれに付随する罰とのバランスがとれていないのではないのかなと、このように思えてしかたがないんですよ。





だってそうでしょう。





刑事裁判で有罪になった人でさえ、社会復帰を目指して更正する機会を与えられているんですよ。




然るべき場所で与えられた償いを全うすることで、仮にもその罪は社会的には清算されるんです。




しかし、今回の場合は「このような落書きは社会的に見ても愚かな行為である。しかもそれが指導者という立場でありながらそれに気が付かないとは。しっかりと責任を取ってもらう」という、その“罰”側だけがクローズアップされ、社会通念上良しとされない行為をしてしまった責任を取り終えた後の“更正”するというチャンス、この場合では“反省”した後の道が全くと言って良いほどに開かれていないんですよ。






これはですね、個人的にはどう考えても罪と罰の関係が不均衡であるとしか思えませんで、この点におきまして、僕はどうにも腑に落ちないんです。





てかですね、もちろん落書きしたそのこと自体は非難されて然るべきとしても、このようになんの猶予もなくいきなり解任というのでは、こんなもの、死刑と同義でしょうよ。




落書きという行為が「愚かである」ということはもちろん同情を挟む余地なしの行為でございますが、しかし、連日続く報道に盛り上がり、それに正義面して乗っかった、処分を下す“だけ”の立場の人間が暴走した、個人的には寒気がするくらいに狂気を感じたというのが正直なところでございまして、世論から一人の人間を守るどころか、逆にそれに同調して我が身を守ったとしか僕には思えないんです。






ほんと、人権人権と騒いでいるのなら、こういうときにこそ守ってあげてくださいよ。



こんなもの、正義という冠を被せただけで一人の人を晒し者にしているだけじゃないですか。




この教員はこれで人生がゼロになってしまう可能性があるんですよ。



この処分に「教育者として」という言葉をつけるのであれば、それこそ、教育者としてこの教員を守るくらいのことはできなかったのでしょうかね。この学校の校長は。




ほんと、責任は責任としてしっかり取るとしても、これじゃぁあまりにも酷すぎますよ。




ったく・・・・。



この教員以外の落書きした人も全員職を失っているというんでしょうかねぇ。








とある漫画の名ゼリフに、「歴史は繰り返すけれど、人は過去には戻れない」というものがございます。



これは、価値ある遺跡を壊しまわる悪者に善者が戦いの勝利の後に諭すセリフでございますが、なるほど、確かに価値ある歴史的な遺物は過去に戻って造り直せない以上比べるものがないほどに価値あるものでございますが、しかし、それを上回るものがあるとすれば、それはやはり人の命でございましょうから、世間的に生命線を絶たれてしまうような処罰を裁判もなしに職場の上司であるだけの人が決定してしまうその短絡さに、僕は底なしの恐怖を覚えた次第でございます。






なんとか、この処分を軽減して欲しいものでございますな。






それでは今日はこの辺で。

また明晩ラブ







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皆様おばんでございます! 6月29日、店長の大西でございます!





突然ではございますが、“闇”ってのは本当に恐怖を感じるものでございますな。





先程、ずっと出しそびれていたゴミを出すために、少しばかり外にでたんですね。




再三このブログでも書いておりますが、僕の住む地域はまさに絵に描いた様な“田園風景”でございまして、周りにはほとんどなにもないものでございますから、夜にもなると本当に真っ暗になるんですよ。




ま、とはいえ、目の前には国道も通っておりますし、一応でも防犯灯的な灯りはありますから、“表側”は言うほどでもないのですが、しかし、家の北側はそれこそ山道が延びる真っ暗闇の世界でございまして、そんな暗闇の世界に、何故だか視線を向けてしまったんです。






いやぁ〜、しかし“なにも見えない”ってのは無条件で恐ろしいものでございますなぁ。

「闇に吸い込まれる」という表現は、まさに当を得ておりますよ。





ま、その分空を見上げれば満天の星空でございますし、その美しさは恐怖を忘れさせて余りある効果がありますからマイナスばかりではないのですが、それにいたしましても、“闇”という言葉が様々なマイナスイメージを生み出す理由が、なんとなくでも解ったような気がした次第でございます。






光さえも吸収する、無条件で恐ろしさを抱かせる真の闇。

そのような“闇”と同義の部分が現実の社会システムにも大きく寄生しているなんて、ほんと、恐ろしい世の中でございますな。







はたして、今度のサミットで“地球温暖化”に関する闇の部分に光は当たるのか、億分の一でも期待してみますか。



ま、ないですかねポロリ






さてさて、そんな感じで本題へといきたいところでございますが、今日は考えを文章にまとめる時間がございませんのでショートバージョンにて失礼させていただきます。



明日は通常営業でお迎えさせていただきますので、お時間のございますお客様は是非とも遊びにいらしてくださいましね!







それでは今日はこの辺で。

また明晩ラブ












| 店長 オオニシ | - | comments(0) | trackbacks(0) |














証明
皆様おばんでございます! 6月28日、店長の大西でございます!



突然ではございますが、皆様は“洗濯”って忘れますか?



知らない内に溜まっている洗濯物でございますが、僕はこまめに洗濯するものの、何故か“干す”ことを忘れてしまうんですね。



もちろん、毎回毎回というわけではございませんが、しかし、確率的には3回に2回という高確率でございまして、夕方に洗濯機を回したまま、次の日までコロッと忘れることしばしばなんですよ。



ま、だからといって何か困るかといえばたいした影響はございませんので別にいいのですが、それでも、洗い直しに伴う水道と洗剤の無駄遣いは、あらゆる意味からも無視できるものではございません。






いやぁ〜、しかしどうしてなんですかねぇ。

めんどくさいから後回しなんていうレベルではなく、洗濯したこと自体を忘れてしまうんですよ。





ま、それもこれも、花を飛び移る蜂のように興味が分散する僕の悪い癖が原因なんでございましょうが、それでも、せめて洗濯したそのこと自体は覚えていたいものでございまして、“散漫”と形容する以外に他ない僕の集中力及び好奇心を、どうにかして落ち着かせたいと思う今日この頃でございます。





小学生の頃の通信簿に、“落ち着きがない”と書かれた諸氏は数え切れないでしょう。

しかし、どうやら僕は、未だにそれを引きずっているようでございますな。





いや、ちょっと笑い事ではないですねたらーっ






さぁさぁ、そんな感じで今もソワソワしておりますが、更新のほうは落ち着いて進めてまいりましょう。




本日は「証明」というタイトルでございます。





今日もですね、いつものようにヤフートピックスからの話題でございますが、先程何気に眺めておりますと、なんとも勇気の湧く頼もしい話題が載っておりましたので、そこら辺からのお話なんぞを認めてみようかなと、こういう次第でございます。




で、早速その話題でございますが、





「陸上 三千障害で早狩が五輪内定」




という、北京五輪代表選考会を兼ねた陸上の日本選手権で、女子三千メートル障害に出場した「早狩実紀(はやかり・みのり)」選手が3連覇し、35歳で見事、初の五輪代表に内定したというなんとも力強い話題なんですね。




記事を詳しく読んでみますと、この早狩選手、学生の頃から既に頭角を現していたそうなんですが、しかし、オリンピックは初ということでございまして、諦めずに続けていた努力がついに実を結んだという、実に爽やかで美しい感動を与えてくれたんですよ。





いやぁ〜、しかし見事でございますなぁ。

この世知辛い世の中において、一服の清涼剤という表現が陳腐に聞こえるほどにホッとする話題でございますよ。





もちろん、ここに至るまでの道のりは、語りつくすことなんて出来ないほどの厳しいものであったでしょうが、しかし、オリンピックに出場できるほどの人でございますから、きっと“これからが勝負”なんつって、微塵も後ろを振り返っていないんでしょうね。






てかですねぇ、こういう話は本当に無条件で嬉しくなるものでございますなぁ。


一般的には“下降線”を辿ると認識されているその常識を、こうも見事に覆してくれたのですから、特に同年代の人なんかに与えたパワーなんかは、それこそ計り知れないものがあるでしょうね。





ま、そういう僕も彼女と近い年齢でございまして、その計り知れないパワーを頂いた一人なのですが、ほんと、かっこつけるとかではなく、“諦めない”というその意志がもたらす力の偉大さを、今更ながらに再認識させてもらいましたよ。





よく、「夢は叶う」やら「念ずれば花咲く」なんて言葉を耳にいたしますが、これ、分子生物学者で農学博士でもある「村上和雄」氏が、その著書の各所で述べておりますように、きっと“遺伝子”の力が関係しているんでしょうなぁ。



ま、詳しくは村上氏の著書を読んでいただくといたしまして、ここでは大雑把に要約いたしますが、要はですね、確証と呼べるデータは出揃っていないものの、人間の遺伝子はその潜在能力の僅か数パーセントしか発揮しておらず、普段は大部分の能力のスイッチはオフになっている。しかし、“祈る”という作業や“自分を信じる”などのプラスの思考を持ち続ければ、その眠っていた、つまりはオフになっていた能力の部分のスイッチがオンになり、今まで以上の能力を発揮できるようになることがあると、こういうことらしいんですよ。




これですねぇ、個人的にはもの凄く賛同できるものでございまして、ここでは長くなりそうなので論じませんが、例えば、東洋思想によく見られる意識の“深層部分”などと絡めて考えると、実に腑に落ちる道筋が見えてくるんです。




ままま、それは今はいいのですが、とにかく、“自分”というものが持つ能力や資質をとことん信じて、一点の曇りも無く内面と向き合い目標を定めれば、もちろん100パーセントとはいかないまでも、その時は相当の成果を得ることができるのではないのかなと、こう、早狩さんの活躍で勇気付けらたと同時に、“努力”という言葉の持つ重みと重要さを教えてもらった次第でございます。







「まずは勇気を持って自分自身を信ずることだ-自分と自分の内臓を」
(ニーチェ 木原武一訳)


ま、それを“実行”できるかどうかは別の話ですが、頭の片隅に置いておいて損はない考え方でございますね。





なんだか元気になりました楽しい






それでは今日はこの辺で。

また明晩ラブ






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こういうことが“怖い”と思うんです。
皆様おばんでございます! 6月27日、店長の大西でございます!




今日、約10年ぶりに歯医者に行ってきました。



虫歯になると歯に被せる銀歯的なものがございますが、かれこれ2年くらい前に取れてからというもの、今日までほったらかしにしてしまっていたんですね。



ま、それもこれも歯医者には良いイメージがなく、いけば必ず痛い目に遭うという先入観が今日まで僕に歯の痛みを忘れさせていたわけでございますが、しかし、さすがに“気持ち”だけでは限界に達したようでございまして、最近は少しずつ痛み始めてきていたんですよ。




で、今日は覚悟を決めて歯医者に出向いたわけでございますが、いやいやいや、やはり、歯医者はいくつになっても慣れないものでございますなぁ。




あの独特の臭い、キュンキュン音を立てて唸る削り器、そして大口を空けて横たわる無防備でマヌケな姿など、僕にとっては何一つプラスに感じるものはございませんで、ほんと、受付を済ませたにも関わらず帰ろうかとうすら思ったほどでございます。





しかしですね、どうやら今の医療技術は各段に進歩しているようでございまして、もちろん、少なからずの痛みはあるものの、それでも、昔に感じた生き地獄的な痛みは感じませんでしたし、お医者さんも実に丁寧で的確、加えて歯科助手さんが美人さんときた日には怖がる理由がございませんで、治療を終えた直後の感想は、「なんでもっと早く来なかったんだろう」という後悔でございました。






僕は正直、痛みには滅法弱いタイプでございます。

しかも、病院等に掛かる時間的な制約が大嫌いな性質なんですが、それでも、こうして思い切って一歩を踏み出しますと、これが意外と全てにおいて“たいしたことはない”というのが素直な感想でございましたから、どうでしょう、このブログをお読みになっているお客様で病院に掛かろうかどうか迷っているお客さんがいらっしゃいましたら、是非とも思い切って足を運んでみては如何でございましょうか。






とはいえ、やはりまだ不安です・・・たらーっ






さぁさぁ、そんな感じである意味スッキリとした心持ちの中、更新のほうも気持ちよく進めてまいりましょう!





本日は「こういうことが“怖い”と思うんです。」というタイトルでございます。






これはですね、昨日に書こうと思っていたテーマでございますが、いつものようにヤフートピックスを眺めておりますと、個人的には戦慄が走るほどに恐ろしいような話題が載っておりましたので、そこら辺からのお話なんぞを認めてみようかなと、こういう次第でございます。





で、早速その話題でございますが、




「スペイン、類人猿の“権利”を保護する決議案を採択」




という、スペインの議会である「環境委員会」が、人に最も近いサルなどの類人猿の生命と自由を守ろうと、「類人猿プロジェクト」なる取り組みを支持する決議案を採択したという、なんとも“いかにも”な話題なんですね。




記事を詳しく読んでみますと、このプロジェクトは、科学者や哲学者らがこれまで人間にのみ与えられてきた権利を、遺伝子的にも人間に最も近い類人猿にも適用されるべきと訴えて立案されたものだそうでございまして、同プロジェクトのスペイン人責任者、「ペドロ・ポザス」氏は「動物愛護問題に奮闘する中、また類人猿の保護にとって、これは歴史的な日だ」と述べたそうなんですよ。




しかもですね、この決議案は超党派の議員などにより支持されているようで、どうやら立法化される見通しなんだそうでして、政府は1年以内に同国での類人猿に対する禁止条項など、法令集の改正を行うことになるそうなんです。






いやぁ〜、しかし大きくでましたなぁ。

類人猿の“生命と自由”を守るでございますかぁ。





ま、このような「動物愛護」の精神は尊いものでございますし、無闇に虐待されるようなことが法により護られることは素晴らしいことだとは思うのですが、それでも、やはり“自由”なんてことまで謳うのはさすがにやりすぎでございましょう。




てかですね、だいたいからして「闘牛」をおよそ観光のメインにしているような国がですね、このような動物愛護を叫ぶ時点でナンセンスといわざるを得ないんですね。




ま、そこには“類人猿”と、家畜としての“哺乳類”との“認識”の違いがあるのでしょうが、しかし、それはどう考えても“人間側”から見た非常に人間至上主義の強い認識でしかございませんで、そんなもの、牛だって出来れば殺されたくないでしょうよ。




もちろん、そこを「動物愛護」としてしまえば、肉食の文化を持つ国や地域は立ち行かなくなってくることでございましょうから、一部の反対派を除いては黙認せざるをえない流れなんでしょうが(菜食主義が世界を平和にするという論調がございますが、僕はそれに一部賛成です)、それでも、“遺伝子”ではなく“生物”として括った場合はそれこそこの世に生きる全てのものがその対象になるわけでございますから、もし、このように類人猿を保護するのであれば、同じように全ての生物を保護せよなんていう極論にも達する可能性があるんですね。





ま、普通に考えてそのような極端なものは出てこないとは思いますし、それを唱えたところで自己満足で終わるのが関の山でございましょうから大きな運動にはならないとは思うのですが、とにかく、他の生物に対して人間が人間自身の勝手で保護する・しないを線引きしたり、挙句の果てに「自由を保護する」なんて馬鹿げたことを言い出したりするそのこと自体に、僕は、人間が多くの命の上に立たせてもらっているという逃れられない現実を忘れた、傲慢で救いようのない人間のエゴを見せ付けられたような気がして恐ろしくなった次第でございます。





今の時代、例え聖者といえども、生まれてからの無殺生を貫いてきた人はいないでしょう。


例え菜食主義者といえども、地面を掘り返した上に絶てた家屋に住む以上、まず間違いなく地中の生物を殺めておりますし、故意ではないにしろ、車を運転中にアリなどを踏み潰しているかもわかりません。



だからこそ、せめて目に見える範囲だけでも、人間に近い類人猿だけでも保護しようとする気持ちが生まれるのかもしれませんが、しかし、それは単純に精神分析でいう補償行為にしか過ぎず、だいたいからして“人間”に“保護”されて“自由”であるはずがないんですから、もし、この法案を本当の意味で貫くのであれば、我々人間は、いの一番に都市を破壊すべきでございましょうね。






“人間側から”という一方向からの視点しかない流れ、正直、怖いです。







それでは今日はこの辺で。

また明晩ラブ
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安心までの距離は・・・
皆様おばんでございます! 6月26日、店長の大西でございます!



そういえば、また“食品”に関する偽装が発覚いたしましたな。



ここ数日、ほとんどのワイドショーでトップを飾る「丸明 飛騨牛偽装事件」でございますが、やはりと言っていいのでしょうか、蓋を開けてみれば社長が絡んでおりましたよね。



似たような事件では北海道の「ミートホープ牛肉偽装事件」がございましたが、こちらも社長自らが偽装に手を染め、それを従業員のせいにするという構図は同じでございまして、ここに、なんとも情けないような滑稽なような、とにかく、経営のトップに立つものの苦悩と愚かさが同時に見て取れましたよ。




もちろん、いかなる理由があれ、消費者への食の安全という最も基本的な部分を反古とした責任は逃れられるべくもございませんで、およそ氷山の一角であろう食の偽装を一掃すべく、ここはきっちりと処して欲しいものでございます。






いやぁ〜、しかし続きますなぁ。

肉に料亭にうなぎ・・・・、ほんと、我々はなにを信用すればいいのでしょうかねぇ。





ま、内容はどうにしろ、それが“安全”であれば万歩譲ってOKなんですが、それでも、“高級”とされているものが実はそうでもなかったなんてことになると、その精神的な痛手はかなりのものでございますし、なによりも一度でも“騙される”と、次からはほとんどで信用というものが出来なくなってまいりますから、疑心暗鬼で毎日の食を頂くほど無味乾燥なものはございませんから、是が非でも、食に関わる皆様には誠意を尽くしていただきたいものでございます。





経営側の不正を正すために、自らの生活の基盤をかけてまで告発した人がいるという現実。


資本原理主義ともいえるような現代において、このように真っ向立ち向かう人がまだまだいるということを確認できただけでも、ひょっとするとこの事件はプラスに働いたのかもしれませんね。





とにかく、我々の“安心”はまだまだ先のようでございますな。






さてさて、それではいつものように本題へ・・・・と行きたいところでございますが、今日はたまにある「脳みそが働かない日」のようでございまして、どうにも雑駁(ざっぱく)とした頭の中がまとまりませんので、本日はショートバージョンにて失礼させていただきます。



着地点がみつからない今日書く予定だった内容は、明日にきっちりとまとめる予定でございますので、お時間のございますお客様は、是非とも覗いてみてくださいましね!!








それでは今日はこの辺で。

また明晩ラブ





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身体使用のススメ
皆様おばんでございます! 6月25日、店長の大西でございます!




今日から、定期的に身体を動かすことにいたしました。



その摂取量と消費量に相当の開きがある僕の日々のカロリーでございますが、いつか蒼井優さんに会った時に恥ずかしくないようにとの動機から(←激痛)、これではイカンと一念発起し、定期的に身体を動かすことにしたんですね。



ま、僕は冬の間はスキーをやっておりまして、その為にも夏場はトレーニング的なものはするんですが、しかし、今まではどこかに甘えがあり、その頻度は不定期なものに終始していたんですよ。




で、今日は早速軽いジョギングから開始したわけでございますが、いやいやいや、やはり身体を動かすというものは爽快なものでございますなぁ。




足腰に感じる適度な張り、心地よく刻む心拍数、そして全ての不用物を洗い流すかのように滴る汗など、その全てにおいて“健康”を連想させるものでございまして、適度に感じる爽やかな疲労感に、なんだかすっかり生まれ変った気分でございます。






理由無き焦燥感や不安感は、ときに少しの運動ですっかり解消されるものでございます。


もし、このブログをお読みのお客様で部屋にこもりっきりのかたがいらっしゃいましたら、僅か5分でも良いと思いますので、軽くそこらへんを歩いてみてくださいまし。





きっといつもの景色が違って見えてくると思いますよイヒヒ



いやぁ〜、しかし爽快な気分だ楽しい






さぁさぁ、そんなスッキリした心持ちの中、更新のほうも気持ちよく進めてまいりましょう!




本日は「身体使用のススメ」というタイトルでございます。





これはですね、上の枕でも書きましたが、今日、僕は久しぶりに本格的な運動を試みまして、それに伴い実に爽やかな心持ちを得ることが出来たんですが、その際に、少なからず思ったことなどがございましたので、そこら辺からのお話なんぞを認めてみようかなと、こういう次第でございます。





では早速。





いやぁ〜、それにしてもアレでございますなぁ。

繰り返しになりますが、「身体を動かす」ってのは本当に気持ちがいいものでございますなぁ。





ま、もちろん、それも“過度”ではいけませんし、そのことを厳しく課し過ぎて精神的なプレッシャーになれば逆効果極まりないのでしょうが、それでも、やはり全く動かさないよりは良いのではないのでしょうか。




まぁねぇ、プロのアスリートなんかでありますと、それこそ毎日“仕事”として身体を動かしているわけでございますから、たまの休みくらいはゆっくりしたいところではござましょうが、とにかく、精神的な作用ばかりが重視される現代におきましては、このような「身体の使用」ってのは軽んじられているようでございますよ。




ま、ここら辺の詳しいことは、現代の知性の一人として必ず名前が挙がる「養老孟司」氏が、その著書『日本人の身体観の歴史』を始めとして種々の著作で述べておられますのでそちらを参照されたいと思うのですが、ともあれ、身体を積極的に使用するという“当たり前”のことが、“便利”を追求したその代償として果たされなくなってきた弊害が、昨今の歪んだ精神状態を多く生む温床になっているとの論調は深く頷けるものでございます。





てかですねぇ、ここら辺の話は実に耳が痛いところなんですよねぇ。




我々の戦後生まれといいますのは、とりあえずでも日本が敗戦の痛手から立ち上がり、猛烈な勢いでその復興を成し遂げようとするその只中で育ったわけでございますから、ややもすれば科学技術の進歩を受け入れないのは“時代遅れ”的にマイナスの評価を受けるような時勢だったんですね。




そんなものでございますから、人々はこぞって“便利”を追求し、それはつまり、「いかに身体を使わないか」を目標としてきたわけでござますよ。




なので、必然、何処にも身体を使う要素が少なくなり、結果、カッターで鉛筆すら削れない子供が出てくるようになったんですが、とにかく、人々が身体を動かして汗をかかなくなった結果、身体を動かすことによる疲労感の体感や、それに伴う爽快感という感情を忘れてしまったように思えてならないんです。





まぁねぇ、現代ではその“忙しさ”のあまり、精神的疲労による“倦怠感”などは頻繁に感じているのでしょうが、しかしながら、それと身体使用による疲労感とは全くのべつものでございまして、必然、そこから受ける精神作用には大きな違い(いつまでも残る嫌な疲れと、スッキリとした爽快感を感じる疲労)があるものでございますから、そこに、現代人の多くが抱える鬱々とした理由無き疲弊感の原因が隠されているのではないのでしょうかねぇ。





ま、最近ではダイエットとは無関係なところで“走る”ということがトレンドになっているようでございますから、どうやら時代が巡って身体使用の重要性に多くの人々が気が付き始めたようでござますが、とにかく、なんでもリモコン一つで完結するような現代におきましては、どうやら積極的に「身体を使う」ということが、より良い人生を歩むためのキーポイントになりそうでございます。








僕の尊敬する偉人の一人に、哲学者の「ニーチェ」がございます。


そのニーチェの著作『人間的な、あまりに人間的な』には、「披露は、平等と友愛への一番の近道である」という言葉がございまして、これはどうやらニーチェが山登りをした時に心地よい汗をかき、その時の爽快感なり心地よさなりを彼なりに表現したもののようでござますが、なるほど、たしかに心地よい披露を感じている時に憎悪の感情なんていだきませんし、それよりも何よりもゆっくりと身体を休めたいという気持ちで支配されるものでございますから、それだけを考えてみましても、たしかに、この言葉は当を得ている名言といっても過言ではなさそうでございますね。






よし、今後はしっかりと身体を使っていきましょうかねイヒヒグッド







それでは今日はこの辺で。

また明晩ラブ
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