一秒単位
2010.02.05 Friday 22:38
皆様おばんでございます! 2月5日、店長の大西でございます!
久しぶりに、夢に疑問を持ちました。
不可思議の代表格である「夢」でございますが、昨日見た夢は、まさに不可思議としか言いようが無いほどに脈絡がなかったんですね。
夢の中で僕はなぜか「井上陽水」氏の熱狂的なファンでございまして(現実にはファンと呼べるほどではありません)、待ち受けや着メロはもちろん、髪型からファッションに至るまでを全て陽水色に染めて興奮しているんですよ。
しかもですね、その「異常」なファンぶりを決して人に薦めることはなく、一人で部屋に閉じこもってたった一人で興奮する変態ぶりだったんです。
いやぁ〜、この脈絡と意味の無さはなんなんでしょうか。
現実生活において、井上陽水さんに触れることはゼロなんですけど。
ま、この「脈絡の無さ」が夢の夢たる所以でございますから、ここを真剣に考え始めると必然的に「向こう側」へ行きかねないので止めにいたしますが、とにかく、少しでもこの夢に意味を持たせるべく、今はそればかりを考えている次第でございます。
「夢」といいますと、西洋では「フロイト」を東洋では「明恵」が真っ先に思い出されます。
特に「明恵」は、鎌倉時代に、しかも40年に渡って自ら見た夢を書きとめ続けたという点でずば抜けて得意な存在でございますが、はたして、明恵も僕が見た夢のように、まったくトンチンカンで意味の無い夢を見たのかどうか、とにかく、夢は不思議なものでございますね。
さぁさぁ、それでは今日も張り切って更新してまいりましょうか!
本日は「一秒単位」というタイトルでございます。
今日もですね、またまたヤフートピックスからの話題でございますが、先程いつものように眺めておりますと、個人的に興味を惹かれる話題が載っておりましたので、そこら辺からのお話なんぞを認めてみようかなと、こういう次第でございます。
で、早速その話題でございますが、
「植物状態でも“意思疎通”=脳の活動で質問に回答−英紙」
という、植物状態にあると診断された男性患者の脳の働きを科学者チームが脳スキャナーを使って解析したところ、患者に意識があるばかりでなく、質問に「Yes」ないし「No」を意味する反応もできることが明らかになったと4日付のイギリス有力各紙が報じたものなんですね。
記事を詳しく読んでみますと、意思疎通を確認したのは英ケンブリッジ大のエードリアン・オーウェン博士のチームだそうでございまして、2003年の交通事故で脳をひどく損傷し、植物状態と診断されていた29歳の男性を
「機能的磁気共鳴画像診断装置(fMRI)」と呼ばれる脳スキャナーを使い男性の脳の反応を調査、「Yes」の場合は、「テニスボールを打ち返すところ」を、「No」は「自宅で部屋から部屋へ移動しているところ」を想起してもらったところ、質問に男性は脳の活動を変化させて反応を示したとのことなんですよ。
上記の『「Yes」の場合は、「テニスボールを打ち返すところ」を・・・』という件の意味はあまり理解できませんが、とにかく、「植物状態」と診断されていた男性に「意識」があったということになるこの結果は、今後の「脳死問題」においても、極めて重要かつ重大な実験結果ではないでしょうか。
ま、一説ではこの実験そのものが疑わしいということも言われているそうでございますから、今の段階では鵜呑みにするのは危ないそうでございますが、しかし、もし、これが“本当”だとしたならば、「生」と「死」の境目は、それこそ「心停止」以外にはなく、「脳死」を生物の「死」とするのは倫理上問題があるという方向に大きく進むといっていいでしょう。
もちろん、そこから派生する「脳死における臓器移植問題」にも大きく影響することでしょうし、大きく見れば、宗教的な問題を含んでの論争にまで発展しかねませんから、こりゃぁ刮目しないではいられません。
まぁねぇ、「脳」なんていうのものは枕で書いた「夢」以上に不思議なものでございますから、現代の研究の最先端でも丸裸にできているわけではありませんのでこうした「発見」は当たり前に出てくることなのでしょうが、それにいたしましても、五感の発露がなく、一見するとただ呼吸“だけ”をしているように見えてしまう植物状態と診断されてしまった人や、また「脳死」と診断されてしまった人の奥底で、外からの刺激に反応する部分があるということには、人間の持つ深さというものを感じないではいられませんよ。
ま、この「反応」が「意識」であるのかどうか、もっといえば、じゃぁ「意識」って何?という、ダニエル・C・デネットや下條信輔氏的な部分まで含んでしまう壮大な問題を考えることになりますから、僕にはそんな能力はありませんし、ひょっとすると答えのない問題かもしれませんからもうこれ以上ここでは書きませんが、とにかく、人という生物はどこまで奥深いんだと、こういう生物がどうやって作られたんだと、そしてその進化の過程やその行く末はどこなんだと、こう、果てしなく遠く光の見えない問題を考えてしまった次第でございます。
図らずも、「生きる」ということの意味を考えさせられました。
もちろん、考えるだけで答えなんてものは見つかっておりませんが、とりあえずでも、一秒単位でできることをやろうという自覚は芽生えましたので、それだけでも、まぁ良かったのかもしれませんね。
それでは今日はこの辺で。
また明晩
久しぶりに、夢に疑問を持ちました。
不可思議の代表格である「夢」でございますが、昨日見た夢は、まさに不可思議としか言いようが無いほどに脈絡がなかったんですね。
夢の中で僕はなぜか「井上陽水」氏の熱狂的なファンでございまして(現実にはファンと呼べるほどではありません)、待ち受けや着メロはもちろん、髪型からファッションに至るまでを全て陽水色に染めて興奮しているんですよ。
しかもですね、その「異常」なファンぶりを決して人に薦めることはなく、一人で部屋に閉じこもってたった一人で興奮する変態ぶりだったんです。
いやぁ〜、この脈絡と意味の無さはなんなんでしょうか。
現実生活において、井上陽水さんに触れることはゼロなんですけど。
ま、この「脈絡の無さ」が夢の夢たる所以でございますから、ここを真剣に考え始めると必然的に「向こう側」へ行きかねないので止めにいたしますが、とにかく、少しでもこの夢に意味を持たせるべく、今はそればかりを考えている次第でございます。
「夢」といいますと、西洋では「フロイト」を東洋では「明恵」が真っ先に思い出されます。
特に「明恵」は、鎌倉時代に、しかも40年に渡って自ら見た夢を書きとめ続けたという点でずば抜けて得意な存在でございますが、はたして、明恵も僕が見た夢のように、まったくトンチンカンで意味の無い夢を見たのかどうか、とにかく、夢は不思議なものでございますね。
さぁさぁ、それでは今日も張り切って更新してまいりましょうか!
本日は「一秒単位」というタイトルでございます。
今日もですね、またまたヤフートピックスからの話題でございますが、先程いつものように眺めておりますと、個人的に興味を惹かれる話題が載っておりましたので、そこら辺からのお話なんぞを認めてみようかなと、こういう次第でございます。
で、早速その話題でございますが、
「植物状態でも“意思疎通”=脳の活動で質問に回答−英紙」
という、植物状態にあると診断された男性患者の脳の働きを科学者チームが脳スキャナーを使って解析したところ、患者に意識があるばかりでなく、質問に「Yes」ないし「No」を意味する反応もできることが明らかになったと4日付のイギリス有力各紙が報じたものなんですね。
記事を詳しく読んでみますと、意思疎通を確認したのは英ケンブリッジ大のエードリアン・オーウェン博士のチームだそうでございまして、2003年の交通事故で脳をひどく損傷し、植物状態と診断されていた29歳の男性を
「機能的磁気共鳴画像診断装置(fMRI)」と呼ばれる脳スキャナーを使い男性の脳の反応を調査、「Yes」の場合は、「テニスボールを打ち返すところ」を、「No」は「自宅で部屋から部屋へ移動しているところ」を想起してもらったところ、質問に男性は脳の活動を変化させて反応を示したとのことなんですよ。
上記の『「Yes」の場合は、「テニスボールを打ち返すところ」を・・・』という件の意味はあまり理解できませんが、とにかく、「植物状態」と診断されていた男性に「意識」があったということになるこの結果は、今後の「脳死問題」においても、極めて重要かつ重大な実験結果ではないでしょうか。
ま、一説ではこの実験そのものが疑わしいということも言われているそうでございますから、今の段階では鵜呑みにするのは危ないそうでございますが、しかし、もし、これが“本当”だとしたならば、「生」と「死」の境目は、それこそ「心停止」以外にはなく、「脳死」を生物の「死」とするのは倫理上問題があるという方向に大きく進むといっていいでしょう。
もちろん、そこから派生する「脳死における臓器移植問題」にも大きく影響することでしょうし、大きく見れば、宗教的な問題を含んでの論争にまで発展しかねませんから、こりゃぁ刮目しないではいられません。
まぁねぇ、「脳」なんていうのものは枕で書いた「夢」以上に不思議なものでございますから、現代の研究の最先端でも丸裸にできているわけではありませんのでこうした「発見」は当たり前に出てくることなのでしょうが、それにいたしましても、五感の発露がなく、一見するとただ呼吸“だけ”をしているように見えてしまう植物状態と診断されてしまった人や、また「脳死」と診断されてしまった人の奥底で、外からの刺激に反応する部分があるということには、人間の持つ深さというものを感じないではいられませんよ。
ま、この「反応」が「意識」であるのかどうか、もっといえば、じゃぁ「意識」って何?という、ダニエル・C・デネットや下條信輔氏的な部分まで含んでしまう壮大な問題を考えることになりますから、僕にはそんな能力はありませんし、ひょっとすると答えのない問題かもしれませんからもうこれ以上ここでは書きませんが、とにかく、人という生物はどこまで奥深いんだと、こういう生物がどうやって作られたんだと、そしてその進化の過程やその行く末はどこなんだと、こう、果てしなく遠く光の見えない問題を考えてしまった次第でございます。
図らずも、「生きる」ということの意味を考えさせられました。
もちろん、考えるだけで答えなんてものは見つかっておりませんが、とりあえずでも、一秒単位でできることをやろうという自覚は芽生えましたので、それだけでも、まぁ良かったのかもしれませんね。
それでは今日はこの辺で。
また明晩







