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心の知能指数
皆様おばんでございますす! 7月18日、店長の大西でございます!



夏フェスに参加してまいりました。



クソ暑い夏の中で唯一「夏バンザイ」となる音楽の野外イベントでございますが、昨日17日、北海道は岩見沢というところで開催された「ジョインアライブ」というフェスに参加してきたんですね。



今年が第一回のこのイベントには大好きなアーティストが参加するとあって気合を入れて参加してきたんですが、しかし、気温と熱気の暑さのダブルパンチに、さすがに倒れそうなくらいでございましたよ。




ま、イベント自体は第一回ということもありまして、運営やその他に多々問題点が露呈し満足度で言えば決して100パーセントではなかったのですが、とにかく、夏の日を彩る「祭り」の空気感だけはしっかりと堪能してまいりました。




いやぁ〜、それにしてもアレでございますな。

多くの人が集まるイベントなだけに、さすがにいろんな人がいるものでございますな。




その中で「不快」に感じたほうの話を書かせていただきますと、中には「テンション上がって騒いじゃってます。イベントを楽しんでいる俺たち最高。」ということを何故かアピールする連中もおりまして、「ああいう場所」では大抵のことは許される“はず”と勘違いして周りの迷惑も考えない馬鹿な連中には、本当に辟易し、その点だけが嫌な思い出として残ってしまった次第でございます。




「解放」することと、無軌道に「暴れる」ことは天と地以上の違いがございます。

音楽が人々の心を解放し、それにより享受できる甘美な褒美は計り知れないものがございますが、それを味わうためにも、観客である我々は、もっともっと「楽しみ方」というものを学ばなければいけないのかもしれませんね。




ともあれ、夏の一日としては最高でございました。





さぁさぁ、それでは2日ぶり、しっかりと更新してまいりましょう!




本日は「心の知能指数」というタイトルでございます。




今日はですね、いつもと違って地方新聞からの話題でございますが、先程何気に眺めておりますと、なんとも心が曇る話題が載っておりましたので、そこら辺からのお話なんぞを認めてみようかなと、こういう次第でございます。




で、早速その話題でございますが、




「教諭暴言『親が死んだことは風流』 大栄丸事故遺族生徒が適応障害に」




という、昨年の4月、死者・行方不明者12人を出した「第11大栄丸沈没事故」で父親を亡くした佐世保市内の女子生徒が、事故直後、通学する同市の西海学園高の50代男性教諭から、父親の死を中傷するような暴言を受け適応障害になったとして、県弁護士会人権擁護委員会に人権救済を申し立て、受理されていたことが16日までに分かったということを長崎新聞が報じたものなんですね。




記事を詳しく読んでみますと、男性教諭は、沈没事故から数日後の国語の授業中、女子生徒に対し、古典の解釈の一例として「親が死んだことは風流だ。人はいつ死ぬか分からんけんな」と言ったそうでございまして、それを機に、女子生徒は同教諭の姿や声を聞いただけで過呼吸の症状が現れたり学校を休みがちになり、昨年11月、適応障害と診断され、約5カ月間学校を休んだとのことなんですよ。



これに対し教諭は、女子生徒が事故の遺族だと知っていたにもかかわらず、「方丈記に表れる『生きとし生けるものは変化する』という中世の無常感を伝えるため死について話したが、『風流だ』とは言っていないと思う。誤解だ」と主張したそうでございますが、しかし、教諭の務める学校の校長が事実関係を大筋で認め、「配慮を欠いた発言だった」と釈明しているとのことなんです。





いやいやいや・・・

これが本当に「教師」の発言なんでしょうか・・・




だいたいですね、この教諭は「方丈記に表れる『生きとし生けるものは変化する』という中世の無常感を伝えるため死について話した」と言っておりますが、例えばそれを「諸行無常」と捉えたとしても、それを一気に死生観にまで飛躍させて生徒に語るなんてのは、どう考えても「行き過ぎ」なんですね。



死生観なんてのは人それぞれがそれぞれの内面からが観じることであり、方丈記の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」から「人はいつか死ぬ」という方向へ考えを至らすなんてのは一つのオプションにしかすぎませんから、それを「人はいつか死ぬ」という主題に決め付けて、しかもそれを多くの生徒がいる前でたとえ話として口にするなんてのは、無知ではすまされない、愚劣と評されても反論できないほどでございますよ。





しかもですね、それにより生徒さんは心に甚大な傷を負わされてしまったのですから、1億歩譲って教師の発言に悪気がなかったとしても、無条件で平身低頭に生徒とその家族に謝罪するべきでしょう。




ほんと、前にも書きましたが、言葉には「力」があるということをこの教師は知らないのでしょうか。


「言霊」という言葉もあるように、言葉には魂を揺さぶるほどの大きな力が宿っているんです。


言葉は「心」の表現であり、たんなる「音」ではないんです。

音が「意味」を持ったときに「言葉」となる、だからこそ、人は話して、書いて、聞いて、自分ではない他の人の「言葉」を大切にするんですよ。


こんな基本的なことがわからずに何が教師か。

少しでも自責の念があるならば、一秒でも早く誠心誠意の謝罪の言葉を生徒さんに届けなさいよ。

ったく。

腹立たしくて治まりません・・・。





なんでも現代では、「IQ(知能指数)」よりも「EQ(心の知能指数)」が大切な時代といわれているそうでございます。

なるほど、確かにその通りでして、いくら頭が切れる俊才でも、その使い方が対象となるものを傷つけるようなものでは何の意味もありませんから、やはり優先すべきは思いやり、誰も知らない知識を溜め込むよりは、誰をも思いやれる気持ちを蓄えたほうが素晴らしいことは間違いないでしょうな。





それでは今日はこの辺で。

また明晩ラブ
| 店長 オオニシ | - | comments(0) | trackbacks(0) |














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